■ 2月11日が記念日の国、団体
1929年2月11日 バチカンの国家成立日 (日独伊三国軍事同盟) 1979年2月11日 イラン革命記念日 (反米運動)
1982年2月11日 ブラジル労働者党の法的承認日 (反米運動、資金洗浄)
日本のほのめかしは、大抵の場合、複数ある。もう少し突っ込んで調べた。
■ 20世紀の革命的事件
不思議なことに、20世紀にはいって革命らしきものは下一桁が「9」の年に起こる。
これだけの数の革命事件がそろえば偶然では説明できない。フランス革命がその基準であり、フランスと日本が背後にあることは否定できない。特に、日本のこだわりはただ事ではない。
昭和天皇の崩御だけでなく、明治天皇の崩御にも疑惑があった。ルーマニアと日本の関係は、笹川良一以来だ。創価学会の旗も疑わしい。
フランス革命100周年記念の1889年、日本は憲法を制定した。200周年記念の1989年は昭和天皇崩御に始まり、世界中が騒がしかった。最後は、ルーマニア革命で終わった。チャウシェスク大統領は、12月23日、平成天皇最初の誕生日に逮捕された。その時掲げられた旗は、創価学会の旗を暗示した。
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ルーマニア革命の前後、日本の国力はピークに達する。私は、ルーマニア革命の進展をテレビで見ていたが、今でも当時の日本社会の高揚感を覚えている。だが、日経平均株価は、その年の大納会(12月29日)に最高値38、915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、それ以来今日まで、日本は歴史を失い続けている。ルーマニアは、第二次世界大戦では枢軸国側についていた。
実は、この株価は事前に計画されていた可能性が大きい。1989年はフランス革命200周年記念。12月29日は、松平家康が徳川姓を朝廷から許された日(永禄9年12月29日)。そして、1989年12月29日は旧暦の12月2日で、1804年12月2日はナポレオンがフランス皇帝に即位した日だった。三つの事件が同日に重なる日は滅多にない。
1990年代に入ると、米国が湾岸戦争をきっかけに、対テロ戦争モードに入り、国家や民衆を煽動する革命タイプの陰謀は影を潜め、9.11テロなどの大規模テロとハリケーンや地震などの災害テロが主流となる。
話を元に戻そう。ここで、わざわざ他の事件を取り上げたのには理由がある。
■ イラン革命の次は中国革命だった
カイヤホガフォールズ、オハイオ州のスーツの店舗
フランスや日本が操る者は、特定の日付に特定の行動を起こす。だが、しばしば、特定の日に死ぬ。他殺か自殺かはわからない。一生日本の特務機関員として外国を渡り歩き、少数民族の女性などとの間に子供をもうけたりした男がいる。ネット上の情報によると、この男はつい最近、最も重要な日本の伝統的祝日に突然死亡した。この男と同様にホメイニ師の死んだ日にも意味があった。
1989年6月3日、ホメイニ師は死去。最期の言葉は「灯りを消してくれ。私はもう眠い。」だったと言う。
だが、この時、中国も日本も政治的には大騒動だった。6月2日 竹下登内閣が総辞職、6月3日 宇野宗佑内閣が発足する。 そして、6月4日中国で天安門事件が起こる。日本は、外国で陰謀を行う場合、常に国内で予防線を張る。非常にわかりやすい。
結局ホメイニという男は、イラン版フランス革命に利用されてイランで生き、中国版フランス革命に合わせて死んだ。つまり、背後の組織は、ホメイニを通して、世界的革命が一本の糸で繋がっていることを世界に示したかったのだ。
■ リクルート事件はでっち上げ
中止ロック下では、安価な滝
もし、ホメイニの仮説が正しければ、竹下登内閣総辞職は、やらせであり、そのもとになったリクルート事件も、事件の真実はさておき、政治の混乱や報道の過熱は、「やらせ」だったことになる。つまり、平成天皇の相対的イメージアップをはかりながら天安門事件に日本が関与していることを見抜かれないようにするための演出だった。それゆえ、事件後の影響がうやむやで、竹下を含む政治家の影響力にも大した変化はなかった。日本は、新天皇のもと、新たな政治体制の構築にかかり、日本新党細川政権の誕生となる。これも演出が過ぎていた。
■ バブル経済は天皇崩御に合わせた演出
天皇崩御は日本が世界の注目を集めるまたとない機会だった。それで、日本政府は後先も考えずバブルを演出し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と触れまわった。
■ ノストラダムスの大予言は日本とフランスの陰謀だった(2009年2月3日追記)
私は迷信めいたものが嫌いだ。日本政府の陰謀を起草する時、頻繁にこの種のサイトに出くわす。出来るだけ無視してきた。だが、このイラン革命の件で、ある掲示板に「ノストラダムスの大予言」の一部だと指摘する投稿があった。気になったので調べたが、まさに一致した。驚いた。以前から、この予言には日本とフランスの影がちらついていたが、影ではなく、首謀者だった。
上にも書いたとおり、1999年には何も起こらなかった。ノストラダムスの予言者たちも同じことを言っていた。しかも7月だと言う。当然だろう。7月14日はフランス革命の勃発した日だ。
そうすると、評論家や作家などで、ノストラダムスを話す者たちは、両国の特務機関員だったことになる。どこまで陰謀を知っていたのか聞いてみたい。
結局、この予言は、日仏の陰謀をはぐらかすための工作だった。
参照 ナポレオンの秘密
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