芹菓ちゃんの家はとてもお金もちなのですが、パパやママはいつも留守にしています。パパは仕事が忙しく、双子のお姉ちゃんの佳代ちゃんが病気でもうずっと入院しているので、ママは病院にお見舞いに行くといって家を出ると一週間は帰ってきません。
「カヨがね、こないだわたしの携帯に電話をかけてきたの。ママが全然お見舞いに来てくれないって。パパの会社からも電話がよくかかってくる。しばらく社長が出社されていませんがご病気ですかだって、笑っちゃう」
芹菓ちゃんのパパとママは形だけの夫婦というやつで、よそに愛人がいるのです。たまに家に帰ってきても、夫婦で一緒にご飯を食べることはないそうです。
「だから、わたしはひとりぐらしみたいなものなの」
二週間前に神戸市立緑南高校2年F組に飛び級進学の手続きを無事にすませた麻衣でしたが、まだ部屋を見つけてはいなかったので、芹菓ちゃんの家に住まわせてもらっていました。坂の一番上にあるお城のような大きな家でした。
一度ずつ、芹菓ちゃんのパパとママといっしょにご飯を食べましたが、ふたりとも泊まりにきたお友達だと思っている様子でした。まさか麻衣が芹菓ちゃんと一緒にこの家に住んでいるとは思いもしなかったようでした。もちろん芹菓ちゃんと麻衣の関係も知るはずがありません。
この大きな家は、芹菓ちゃんと麻衣のふたりだけのお城でした。手を繋いでソファに座って、毎日映画のビデオを観ました。まだこどもの麻衣の趣味にあわせてくれて、アニメ映画を借りてきてもくれました。
それなのに、今は小島藍里が芹菓ちゃんと麻衣の間に入って、芹菓ちゃんが麻衣のために買ってくれた大好物のチョコレートを食べながら、つまらなそ うに映画を観ています。芹菓ちゃんは小島藍里の髪をいじって、似合う髪型を探しています。太股からはずした右脚の義足を、なぜか麻衣は抱えさせられていま した。
芹菓ちゃんは何も言いませんでしたが、麻衣は知っていました。
小島藍里は被差別階級ジェリービーンズです。34人も人を殺して、病院を放火して全国指名手配された犯罪者なのです。
差別は悪いことですが、ジェリービーンズを差別することは、確か法律で認められた、それもボランティア活動であったはずです。
だから麻衣は、小島藍里を差別しようと、そう決めました。
小島藍里を早くこの家から追い出さないと、藍里は絶対に芹菓ちゃんを不幸にするに違いないありません。そうなってしまってからでは遅いのです。
20040430
まだwiskyを作る方法
私立ならゴールデンウィークは丸一週間お休みになることもあるようですが、市立はそういうわけにはいきません。今日と明日は学校に行かなくてはならない日でした。
でも麻衣と芹菓ちゃんは今日学校をお休みしました。
一昨日連れてきたばかりの小島藍里をひとり置いて、家を空けるわけにはいかないと芹菓ちゃんが言ったからです。明後日もお休みすると芹菓ちゃんは言いました。
二人で過ごすはじめのゴールデンウィークだったのに、遊園地や温水プールに行く約束だってしていたのに、全部だめになってしまいそうでした。三人 で行くのは麻衣がいやだからです。ジェットコースターで芹菓ちゃんの隣に座るのは麻衣じゃなくて小島藍里になるに違いなかったから。
麻衣はひとりでむくれて、今朝ひとりで借りてきた映画を一日中ひとりで観ていました。
リビングを占拠した麻衣を置いて、芹菓ちゃんと小島藍里は、二階の芹菓ちゃんの部屋で一緒にいたみたいでした。麻衣がやきもちを妬いたりいじけたりすればするほど、芹菓ちゃんは麻衣よりも藍里を可愛がる、それはわかっていたのに素直になれませんでした。
麻衣よりも先に藍里が芹菓ちゃんとキスをしたらどうしよう、と不安で、そればかり考えてしまいました。気がつくと映画は終わっていました。
お昼もカルボナーラをひとりで作って食べましたが、夜は映画を観ていると、ソファの前のテーブルに芹菓ちゃんと小島藍里が料理を運んできました。
レンジでチンしただけの冷凍のピラフと、インスタントのスープでした。麻衣が料理を作らないと、ふたりはきっと毎日こんな料理ばかり食べるに違いありません。料理のできる麻衣はふたりの家政婦のようになってしまうのかもしれません。
芹菓ちゃんは麻衣に小島藍里と仲良くしてほしい様子で、一緒にお風呂に入るように言いました。麻衣はいやだと言いましたが、藍里が構わないと言ったので一緒にお風呂に入るしかありませんでした。
だけど麻衣は思いました。昨日藍里を差別しようと決めた麻衣でしたが、麻衣が藍里を思い切り差別できるのは、藍里とふたりきりのときだけです。お風呂の中でなら今日早速藍里を差別することができるのです。
しかし麻衣にはどう差別をしていいのかわかりませんでした。
藍里を叩いたり蹴ったりすればいいの?
髪の毛を引っ張って、あそこの毛を剃ってやればいいの?
何をすればいいのか、麻衣にはわかりませんでした。
麻衣は何をしたら、小島藍里を差別できるのか、誰か教えてください。
20040501
私の子供の頃から人形を見つけるためにどのように
芹菓ちゃんのお姫様のようなベッドで、麻衣たちは川の字に寝ています。
左端が芹菓ちゃん、真ん中が小島藍里、右端が麻衣です。ふたりで暮らしていたときのように麻衣は芹菓ちゃんの隣がよかったけれど、藍里が端ではもしベッドを抜け出してどこかへ行ってしまっても気づけないかもしれないと芹菓ちゃんが言うので、麻衣は我慢しています。
ゆうべ麻衣はベッドで芹菓ちゃんに怒られてしまいました。お風呂からあがって、藍里にパジャマを投げつけたこと、どうしてジェリービーンズといっ しょにお風呂に入らなければいけないのか芹菓ちゃんに聞いたこと、麻衣はまだ藍里を差別してはいないとばかり思っていましたが、芹菓ちゃんは麻衣は藍里を 差別しているといいました。
麻衣はまたいじけてしまいました。
芹菓ちゃんに怒られたのははじめてのことでした。お父さんや継母の綾音さんにも麻衣は怒られたことはありませんでした。麻衣は学校の成績もよかっ たし、上級生の不良の人たちにもかわいがられていたので先生に怒られることもありませんでした。麻衣ははじめて誰かに怒られたのです。その誰かが芹菓ちゃ んでよかった。
日付が今日に変わる頃、天井から吊されたシャンデリアを見上げていると小島藍里が麻衣の手をぎゅっと握りました。払うこともできたはずだけれど、麻衣は思わず握り返してしまいました。
「麻衣ちゃん、起きてるの?」
驚いたように藍里は言いました。
「起こしちゃったんだったらごめんね。少しわたしの話聞いてくれる?」
麻衣は返事はしませんでした。麻衣は悪いことなんて何もしてないのに、藍里のせいで芹菓ちゃんに怒られてしまったのです。返事をしてあげる理由なんてありませんでした。
「昼間芹菓ちゃんには話したんだけどね、わたし小島藍里じゃないの。本当は雪っていう名前なの。わたしは一卵性の三つ子で、藍里はわたしのお姉ちゃんの名前なの」
藍里は一年半前の事件のことを麻衣に話しはじめました。
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" DR 。誰が"と衣装
芹菓ちゃんが小島藍里を麻衣に押しつけて出かけるので、その間麻衣も小島藍里を置いて遊びに出かけることにしました。いつも芹菓ちゃんの趣味で麻衣がかけられていた首輪や手錠を藍里にかけてベッドにくくりつけました。義足ははずして、傘立てにさしておきました。
麻衣にだって芹菓ちゃんの他にもお友達のひとりくらいいます。
隣のクラスの橋本依子ちゃんと言いました。生徒会で書記をしていて、新聞部の部長でもありました。
麻衣にはお母さんがいませんでしたが、依子ちゃんにはパパがいません。ママとふたりきりで暮らしていました。継母よりもずっとお母さんのような依子ちゃんのママが麻衣はお気に入りで、芹菓ちゃんと喧嘩をして家を飛び出すと、いつも依子ちゃんの家に遊びに行きました。
髪型や性格が違うせいか学校では誰も気づきませんが、依子ちゃんは麻衣と同じ顔をしていました。泣きぼくろの位置が左右違うだけです。
麻衣は依子ちゃんとうまく発音できなくて、どうしてもイリコちゃんになってしまいました。
藍里が芹菓ちゃんの家にやって来てから、麻衣が依子ちゃんの家に遊びに行くのははじめてでした。
麻衣は一昨日の夜藍里から聞かされた話を確認するために、依子ちゃんを訪ねたのでした。将来の夢がジャーナリストという依子ちゃんなら、麻衣を手伝ってくれるにちがいありません。
しかし麻衣はお姉ちゃんのような依子ちゃんの膝枕がとても気持ちよくて、何をしにやってきたのかも忘れて夕方まで眠ってしまいました。
橋本家の夕ご飯のにおいで目を覚ましたとき、麻衣の体は布団の中にありました。依子ちゃんは仕事で帰りの遅いママのかわりに家事をすべて引き受けていて、ごはんを作るのももちろん依子ちゃんの仕事でした。
麻衣は気づかれないようにそっと台所のテーブルの椅子の上に体育座りして、料理をする依子ちゃんの背中を見つめていました。
「わたしが料理してるとこなんて見てたっておもしろくなんかないでしょ?」
依子ちゃんは麻衣に気づいていました。
「おもしろいよ。麻衣にはお母さんがいなかったから、こんな風に誰かが料理してる背中を見るのははじめてだもん」
わたしもママが料理をするの見たことないなぁ、と依子ちゃんは言いました。物心ついた頃から依子ちゃんが料理を覚えるまで、依子ちゃんのママはコンビニでお弁当を買ってきていたそうでした。
料理が大事な過程に入り、依子ちゃんは口数が少なくなりました。
盛りつけながら、
「麻衣は今日、わたしに何か相談があって来たんじゃないの?」
依子ちゃんは麻衣に言いました。
そうでした。
麻衣はすっかり忘れていたのです。
20040503
ゆうべ依子ちゃんは小島藍里の事件の真相を調べてくれると約束してくれました。麻衣は依子ちゃんの家に泊まり、今朝芹菓ちゃんの家に帰りました。
鍵が開いていませんでしたが、合い鍵を麻衣はもらっていました。芹菓ちゃんの部屋ではまだ芹菓ちゃんと藍里は眠っていました。裸で手をつないで眠るふたりを見て、ふたりきりの一晩を与えてしまったことに後悔しました。
リビングのテーブルの上に置いてあったものがふと気になって手に取ると、それは麻衣に宛てられた手紙のようでした。差出人は芹菓ちゃんです。
「おかえり、麻衣。
ゆうべは心配しましたが、夜遅く橋本依子ちゃんという子から麻衣が泊まると電話をもらったので安心しました。
同級生の佐藤千穂に小島藍里のことを調べてもらいました。下にある資料を読んでくれたら、藍里の無実を麻衣もわかってくれると思います」
手紙の下には風俗拾路病院の真相を究明する会というパンフレットが三冊ありました。
麻衣はソファに寝転がってテレビをつけました。お昼をとっくに過ぎていたことに麻衣は驚きました。依子ちゃんの家を出たのは依子ちゃんのママといっしょで八時頃だったはずです。
麻衣は帰ってきてからの三時間以上、芹菓ちゃんと藍里の眠るベッドのそばで立ち尽くしていたようでした。
テレビでは、夫の不倫に悩む主婦がみのもんたに電話をかけています。麻衣も今度電話をかけてみようかな。
パンフレットは小島藍里の冤罪説を唱える団体が作ったものでした。資料として残っていた藍里の写真が加工されたものがふんだんに使われていて、それはちょっとした写真集雑誌のような雰囲気の作りでした。
しかし内容は34人の死体の司法解剖の結果をもとに、14歳の少女に犯行が可能であったかを検証するというものでした。焼死体ではありましたが、ひとりひとりその死因は違っていたようです。
「当会は、小島藍里さんの無実を主張しているが、仮に彼女が犯人であったとしても犯行をひとりで行うことは不可能である。殺人のみならず、セキュ リティシステムの爆破等も含め、複数の第三者による介入がなければ不可能である。藍里さんは犯人グループに利用されたか、犯人グループの襲撃の最中に隙を 見て逃げ出したと考えるのが妥当ではないだろうか」
藍里が言ったような彼女が雪であるという可能性は論じられてはいませんでした。
芹菓ちゃんはこんな話を信じてるの?
逆に藍里が犯人グループを利用したとは考えられない?
20040504
藍里は冤罪。
藍里は雪。
芹菓ちゃんがそういうのなら麻衣はそれでいいよ。
麻衣は芹菓ちゃんにあわせることにしました。
そうすれば芹菓ちゃんは麻衣を見直してくれるはずだし、麻衣を誉めてもくれるはずだし、麻衣を抱いてもくれるはずでした。
早ければ明後日から藍里はわたしたちと同じ学校に通うことになりそうです。
芹菓ちゃんは今日、麻衣と藍里のセーラー服を買いに、学校のそばの洋服屋さんに行きました。
「麻衣はブレザーのままでいいよ」
「わたしもこのワンピース、気に入っているからいい」
そう言うわたしたちを無理矢理に、芹菓ちゃんは呼び出したタクシーに詰め込みました。
だけどわたしは嬉しかった。
ブレザーはお気に入りだったけれど、部屋着にするのも悪くないかもしれない。芹菓ちゃんが望むならエッチのときにも着てあげてもいいな。芹菓ちゃんの机の引き出しにバイブがあることを麻衣は知っているんだ。
買ってもらったセーラー服に袖を通すと、なんだかやっと高校生になれた気がしました。
麻衣は入学式には出なかったし、いきなり二年生になってしまっていたから。
藍里もまんざらでもなさそうな顔をしていた。ジェリービーンズのくせに高校に通うなんて笑っちゃう。バカみたい。
ファミレスで、三人でお昼を食べているとき、なんだか前にもこんなふうに食事をしたことがあった気がしました。デジャブなんてはじめてで、少しど きどきしました。夏休み、モノクローン、観察日記、という単語が麻衣の頭の中をかけめぐりました。モノクローンって何だろう?観察するくらいだからお花か な。
その後はショッピング。
芹菓ちゃんは藍里にもくまのぬいぐるみのバッグをあげたいと言いました。
人体発火を起こしてしまいそうなくらい麻衣はやきもちをやきましたが、我慢しました。
おやつはマック。芹菓ちゃんはマクドと言います。藍里はマクドナルドを知りませんでした。
お肉のせいか添加物のせいかときどきおなかをこわしちゃうけど、麻衣はハンバーガーが大好きです。
夕ご飯はフランス料理を食べに行きました。
昼間、芹菓ちゃんが麻衣の頭を撫でてくれたとき、麻衣はとてもしあわせでした。
なんて、嘘。
自分に嘘をついて誉められたって麻衣はちっともうれしくありませんでした。だけど芹菓ちゃんにあわせると決めた以上、麻衣はそれを貫くつもりです。
どうせ、三人で暮らすのは明日のお昼までです。
あとたった十数時間。
20040505
麻衣の大切な人を、麻衣から奪う人は、みんな麻衣の敵です。
麻衣からお父さんを奪った綾音さんも、麻衣からお兄ちゃんを奪ったメル友のCoCoという女の子も、二人目の継母も、みんな麻衣の敵でした。
麻衣の大切な人たちは、麻衣の他に大切な人ができると、麻衣に見向きもしなくなりました。
芹菓ちゃんもそうでした。
だから麻衣は小島藍里を許すことがどうしてもできませんでした。
麻衣は小島藍里について、芹菓ちゃんも知らない秘密を知っていました。
麻衣の一人目の継母は村瀬という旧姓でしたが、お父さんと再婚する以前に小島という家で三つ子を産んでいました。そのこどもたちは、藍里、雪、ヒ ルコ、と言いました。小島の家の信じる宗教は、一卵性のこどもを忌み嫌い、そのうちのふたりは同じ施設に、もうひとりは別の施設に預けられたと聞いていま した。
小島藍里が、小島雪だろうが小島ヒルコだろうが、そんなことは麻衣にとってはどうでもいいことです。
小島藍里が綾音さんにそっくりの顔をしていて、お兄ちゃんと麻衣の間にはなかった血の繋がりをもっていること。
麻衣にとってはそれが何よりも大切なことでした。
芹菓ちゃんだけでなく、麻衣の心の中にはまだ生きているお兄ちゃんさえも藍里に奪われてしまうのが、麻衣はとても怖かった。
だから麻衣は藍里に、麻衣の物語から退場してもらうことにしました。
だけど麻衣は芹菓が死ぬことを許すわけにもいきません。
藍里はジェリービーンズです。たとえそれが冤罪だったとしても、彼女が34人もの命を犠牲にして生きていることは、十分に罪だと思います。それを償うには彼女の死だけで足りるはずがありません。
それに何より、藍里が死んで三途の川を渡ったその先には、お兄ちゃんがいるのです。
小島藍里には、芹菓ちゃんもお兄ちゃんもいない場所に、行ってもらいました。
世の中には、家政婦を雇うほど裕福ではないけれど家事をする人手が必要な人や、外国人よりも安い賃金ですむ労働者を求める人や、ジェリービーンズでないと興奮できない男の人たちがいて、専門の商人たちがジェリービーンズを集めて彼らを相手に商売しているそうです。
小島藍里速報掲示板を見ている人たちの多くはそんな商人の人たちでした。
でも彼らは少しやりすぎたと麻衣は思いました。芹菓ちゃんを泣かせてしまったからです。
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